“Including a Song About The Boxer Rebellion Was a Personal Choice Though It Does Have a Tie To The Album In Its Being Against Westernization And Christianity In Their Rejection Of Ancestor And Nature Deity Worship.”
DISC REVIEW “XXI”
「私には、リアルな部分でとても男性的な面があって、それが演奏するときに姿を現すことは認めるわ。そうやって生の感情や暴力的な態度を表現する自由があることに感謝しているのよ。ただ、ジェンダーを考慮することで私は男性と女性の興味深いダイナミクスを加えることができるわけだけど、だからといってジェンダーを考慮することが常に必要だとは思っていないわ」
人生の選択、クリエイティブな仕事をする上での選択、音に対する選択にかんして、SUCCUMB のボーカリスト Cheri Musrasrik は女性であることに囚われることはありません。それ以上にもはや、エクストリーム・メタル界の女性をめぐる会話は少し陳腐だと言い切る彼女の喉には、性別を超越した凄みが宿り、”The New Heavy” の旗手としてアートワークの中性神のように自信と威厳に満ち溢れています。
「ベイエリアとカナダのシーンから受けた影響を否定することはできない。この2つのシーンに共通しているのは、彼らは常にそれぞれのアートを新しい領域に押し上げる努力をしているということだよ」
超越といえば、SUCCUMB の放出するエクストリームな音像もすべてを超越しています。ベイエリア、カナダというヘヴィな音楽のエルドラドを出自にもつメンバーが集まることで、SUCCUMB は突然変異ともいえる “The New Heavy” を創造しました。洞窟で唸るブラストビートと野蛮なデスメタルから、ハードコアの衝動と五臓六腑を締め付けるノイズまでスラッシーに駆け抜ける SUCCUMB の “エクストリーム” は、最新作 “XXI” においてより混迷の色合いを増し、くぐもっていた Cheri の声を前面に押し出しました。同時に、BRUTAL TRUTH や NAPALM DEATH のようなグラインドコアから、フューネラル・ドゥームの遅重までエクストリームなサブ・ジャンルを網羅することで、遅と速、長と短、獰猛と憂鬱をまたにかける不穏な混沌を生み出すことに成功したのです。
「様々なジャンルのある種のお決まりをコピーペーストするだけでは、あまりにあからさまだし、必ずしも素晴らしい曲作りになるとは限らない。その代わりに、僕たちはそれらの異質なサウンドの間に存在する音の海溝を掘り下げようとしているんだ」
とはいえ、SUCCUMB の “クロスオーバー” は単なる “いいとこ取り” ではありません。だからこそ彼らの発する “無形の恐怖” はあまりに現代的かつ唯我独尊で、基本的はよりアンビエントで実験的なアーティストを扱うレーベル The Flenser にも認められたのでしょう。そう、このアルバムにはリアルタイムの暴力と恐怖が常に流れているのです。その源流には、環境破壊や極右の台頭、世界の分断といった彼らが今、リアルタイムで感じている怒りがありました。
「義和団の乱を選んだのは個人的な選択だけど、祖先や自然の神への崇拝を否定する西洋化やキリスト教に反対しているという点では、このアルバムの趣旨と関係があるのよね。私は太平洋の小さな島の出身なんだけど、その島は恐ろしい宣教師と彼らの間違った道徳によって、固有の文化や習慣の多くが一掃されてしまったの」
アルバムの中心にあるのは、自然や大地を守っていくことの大切さ。アルバム・タイトル “XXI” は21番目のタロットカード “The World” を指し示していますが、正位置では永遠不滅、逆位置では堕落や調和の崩壊を意味するこのカードはまさに SUCCUMB が表現したかったリアルタイム、2021年の “世界” を象徴しているのです。
特に、義和団の乱を扱った “8 Trigrams” には彼らの想いが凝縮しています。中国の文化や貿易だけでなく、自然崇拝や宗教まで制圧し植民地化した列強と、それに激しく対抗した義和団。中でも、道教の自然や四元素へのつながりと敬愛を基にした八掛結社は、先住民の文化や習慣を抑圧し軍事基地や核実験の場として使用された太平洋の島を出自にもつ Cheri にとっては共感をせずにはいられない歴史の一ページに違いありません。そうして、世界がまた抑圧を強いるならば、私たちが音楽で義和団になろう。そんな決意までも読み取れる壮絶な7分間でアルバムは幕を閉じるのです。
今回弊誌では、太平洋の島からベイエリアに移住した Cheri Musrasrik とカナダ出身 Derek Webster にインタビューを行うことができました。「90年代は音楽業界で “成功する” 可能性についての妄想を捨てるというメタル界の考え方の変化により、多くの実験が行われたんだよ。アーティストが自分たちのサウンドを進歩させるために外部のインスピレーションを求めるようになり、その結果、TYPE O NEGATIVE などのバンドが大成功を収めることになったように思えるね」どうぞ!!
“Video Game Soundtracks Have To Be Addictive To Be Good. You Have To Be Able To Listen To Them For Hours On End And Still Enjoy It, And That’s Something I Strive For In My Own Music As Well”
DISC REVIEW “ARIA”
「あの頃の僕は全然正しい道を歩んでいなかったんだよね。自分の好きなことを追求しないことで、鬱屈とした感情を抱え、何かから逃れようと必死になっていた時期だった。それで、自分の夢に深く執着するようになったんだ。日記に記録したり、一日中夢のことを考えたりして夢はどんどん鮮明になり、離れられなくなっていったんだ」
DESSIDERIUM は、ロサンゼルスのサンタモニカの山で生まれ、アリゾナの砂漠と太陽の下で活動を続けている Alex Haddadの音楽夢日記。自らを熱狂的な音楽オタクと称する Alex は、生き甲斐である音楽を追求できずに悩み、そして自身の夢に囚われていきました。それは彼にとってある種の逃避だったのかもしれませんね。
“妄想は自己犠牲を招き、その苦しみは、外側の世界に自分の内なる感情を反映させたいという願いから、慰めを傷つきながら求めるようになる”。壮大なエクストリーム・プログ絵巻”Aria” のテーマは、アルバムの中で最もシネマティックな “Cosmic Limbs” なは反映されています。バンド名 DESSIDERIUM とは、ラテン語で “失われたものへの熱烈な欲望や憧れ” と訳される “Desiderium” が元になっています。そして彼は今、夢の中から自身の夢を取り戻しました。
「JRPG は長い間、僕の生活の一部だった。日本のロールプレイング・ゲームから得られる経験は、他の種類のゲームから得られるものとは全く別のものなんだよ。普段はゲームを楽しむためにプレイしているんだけど、JRPG はストーリー、雰囲気、アート、キャラクターとの関係、そしてもちろん音楽が好きでプレイしている。ビデオゲームという枠を超えているんだ。別世界へのバケーションのようなもので、そこまで没頭していれば、もちろん僕の書く音楽にも影響を与えているに決まっているよね」
日本のロールプレイング・ゲームの熱狂的な信者である Alex にとって、ゲーム音楽には何時間聴いても飽きない中毒性が必須です。彼の愛するゼノギアス、ファイナル・ファンタジー、ドラゴンクエストにクロノ・トリガーはそんな中毒性のある美しくも知的な音楽に満ち溢れていました。
DESSIDERIUM の音楽にも、当然その中毒性は深く刻まれています。そして彼の目指した夢の形は、狭い箱にとらわれず、ビデオゲームの作曲家、映画音楽、プログロックにインスパイアされた幻想と荘厳を、メタルのエナジーと神秘で表現して具現化されたのです。メランコリーと憧憬を伴った、まだ見ぬ時への期待と淡いノスタルジアを感じさせる蒼き夢。
「OPETH は、僕が最も影響を受けたバンドだろうな。OPETH を知ってから2年ほどは、彼らしか聴かない時期があったくらいでね。彼らの初期の作品は非常に悲劇的でロマンチックで、若くて繊細だった僕の心に深く響いたんだよ」
オープニングの “White Morning in a World She Knows” のアコースティックな憂鬱とメランコリックな美声の間には、明らかに OPETH の作品でも最も “孤独” で Alex 最愛の “My Arms, Your Hearse” の影を感じます。しかし、そこから色彩豊かなシンフォニック・プログレへと展開し、後に KRALLICE ライクなリフが黒々とした “複雑な雑音” を奏でると DESSIDERIUM の真の才能が開花していきます。さながら WILDERUN のように、DESSIDERIUM は OPETH との親和性をより高い次元、強烈な野心、多様なメタルの高みに到達するためのプラットフォームとして使用しているのです。
“Aria” が現代の多くの” プログデス” 作品と異なるのは、”The Persection Complex” が象徴するように、そのユニークで楽観的なトーンにあるとも言えます。Alex は、暗さや痛みの即効薬であるマイナースケールをあまり使用せず、より伝統的なメロディーのパレットを多様に選り分けて描いていきます。
パワー・メタル的な “ハッピー” なサウンドとまでは必ずしも言えないでしょうが、醸し出すドラゴンと魔法のファンタジックな冒険譚、その雰囲気は、ほとんどのエクストリーム・メタルバンドが触れることのできない未知の領域なのですから。そうして陰と陽のえも言われぬ対比の美学がリスナーを夢の世界に誘うのです。
今回弊誌では、Alex Haddad にインタビューを行うことができました。「スーパー・ドンキーコングを差したゲームボーイ・カラーを持ち歩き、ヘッドフォンをつないでゲームの一時停止を押すと、ゲームをプレイしなくてもサウンドトラックが流れ続けたのを鮮明に覚えているよ。僕はヒップホップのアルバムを聴いているようなふりをして、実はゲームの音楽に合わせて架空のラッパーが詩を歌うことを想像していた」もし、OPETH と YES と WINTERSUN が日本のロールプレイング・ゲームのサウンドトラックを作ったら。G(ame) 線上のアリア。そんな If の世界を実現するプロジェクト。どうぞ!!
“This Record Is Just Very Pro-good Human Being. Pro Spirituality. Pro progress…”
アルコール依存症、結婚生活の困難、そして悪化する実存的危機と闘いながら、EVERY TIME I DIE のフロントマン Keith Buckley はどん底に落ちていました。バッファローの英傑たちが満を持して発表した9枚目のアルバム “Radical” はそんな地獄からの生還を綴ったロードマップであり、Keith にとって重要な人生の変化を追った作品と言えます。
前作 “Low Teens” からの数年間で、Keith は自分の人生と目標を再評価する時間を得られました。それは Keith にとって大きな転機となり、より健康的で楽観的な生活態度を取り戻すことにつながりました。同時にその変化は新譜にも深く刻まれ、プロジェクトに新鮮な音楽的アプローチをもたらすこととなるのです。”Radical” は、バンドのスタイルにおける限界を押し広げると同時に、彼らの特徴である視点を、より賢明で全体的な世界観へと再構築することになりました。鮮やかなカバーアート、狂気じみた新曲、そして迫真の演奏のすべてが、”ラディカル” な時代の “ラディカル” な心に寄り添う、2021年に相応しい作品でしょう。
あまりにも長い間、Keith Buckley は自分自身よりも、バンドやソング・ライティングに対して正直で居続けてしまいました。2020年3月に9枚目のアルバム “Radical” の制作を終えたとき、EVERY TIME I DIE のフロントマンはまだ酒に飲まれていて、家庭生活の静かな平穏とツアーの喧騒なる混沌を調和させるのに苦労し、何かが正しくないという逃れられない感覚と格闘し苦戦していました。ニューヨーク州バッファローにある GCR Audio の赤レンガの要塞の中で、信頼するプロデューサー、Will Putney と共に彼が絞り出した歌詞は、閉所恐怖症と限界に達した魂の不満が滲んでいましたが、それでも彼はまだなされるべき変化と折り合いをつけたばかりであったのです。
「自分の居場所がないことを知るために、自分の人生の惨めさを書く必要があったんだ」
Keith は率直に語ります。「一度アルバムが出たら、以前の自分には戻れないとわかっていた。だからこそ、”急進的な革命” なんだよ」
2016年にリリースした8枚目のLP “Low Teens” まで時を巻き戻しましょう。当時の妻Lindsay と娘 Zuzana の命を救った緊急帝王切開は成功しましたが、そのストレスと不安によって煽られた節目、その感情と衝動は Keith の曲作りに対する鮮明さと即応性を変化させました。彼は、アイデアをバラバラにするのではなく、生きたシナリオ、あるいは潜在意識の奥底から抜き出したシナリオを描くようになったのです。そうして彼は、これからの作品には引き金となる何か同様のトラウマ的な出来事が必要だろうとつぶやいていました。
2019年後半には EVERY TIME I DIE にとってのルーティンである2~3年のアルバム・サイクルは終了していました。一見、そのようなトラウマや傷は存在しないようにも思えましたが、Keith が自分の皮膚の下を掻きむしると、刺激の欠如がより深く、より深い不満の症状であることを伝え始めたのです。
「自分を見つめ直し、自分がどん底のアルコール依存症であることに気づいた。最悪の夫であり、おそらく最悪の父親だった。間違いなく最悪の自分だったんだ」
19ヵ月後、すべてが変わりました。Keith は1年間断酒を続け、妻とは別居しています。晴れた日の午後、都会から100マイル離れた森の中で娘の Zuzana とキャンプを楽しんでいます。そして、”Radical” がようやく日の目を見ることができたのは、16曲のアルバムに込められた自分の意志による変化を完全に理解し、それを実現する時間があったからだと、彼は強調するのです。「以前の自分に戻るつもりはなかったんだ…」と。
“AWOL”(「私たちの間の空間は、血も指紋もない犯罪現場のようだ」)や “White Void”(「暖かさが消えれば、終わりはただ永遠に続く/ここにいる必要はない、このまま生きる必要はない」)といったトラックには、ほとんど解釈の余地はありません。
「正直なところ、このアルバムには、自分が答えを出さなければならないと思って書いたことがあるんだ。このアルバムには道徳的な宣言が詰まっているよ。曖昧さがないんだ。脇道へそれることもない。花形的な比喩もない。俺は、人々がクソのように扱われ、俺自身もクソのように扱われることにうんざりしていると言っているんだよ」
当初、このパンデミックは立ち止まって考えるきっかけになりました。Keith は何年も前から家族を残してツアーに出ることを心配していました。だからこそ、今5歳になる Zuzana とロックダウンで一緒に過ごす時間は、次にいつ荷物をまとめなければならないかという心配をせずに済むとてもほっとするものだったのです。
「自分の人生を思い切って変えてみたんだよ。パンデミックですべてが頭打ちになったんだ。というのも、このアルバムはその時すでに作曲とレコーディングを終えていたからね。パンデミックは、実際にはレコードにまったく影響を与えなかったけど、レコードの生き方には影響を与えたよ。”Post-Boredom” のような曲は、パンデミックの後、新しい意味を持つようになった。”Dark Distance” のような曲は、パンデミックの前に、疫病が起こるように頼んでいることを今思えば少し奇妙に見えるな。
これらの曲は、俺が抱いていた恐れを顕在化させなければ、充実した人生を送れないと思ったことを歌っている。俺はパンデミックに耐え、その間に自分の人生を本当に変える必要があることに気づいたんだ。何かが間違っていると思った。そして、自分自身の真実を見つけ、それを受け入れ、それに従って生きていこうと決めたんだよな。まさにラディカルな時期だった」
実際、”Post-Boredom” は、バンドがこれまでに作った曲の中で、最も奇妙で最もキャッチーな曲かもしれません。パンク・ロックのエネルギーに満ちたこの曲は、異世界のブリッジセクションを誇り、強烈なクレッシェンドと “私の消滅” というリフレインがリスナーの精神に深く入り込むサビが特徴的で、絶対的に耳に残る曲。Keith はこのフレーズを信頼できる歌詞ノートに書き留め、ずっと曲の中で使いたいと考えていました。
「正直言って、このフレーズを歌うのは楽しいんだ。FALL OUT BOY のJoe Trohman と Andy Hurley と一緒に THE DAMMNED THINGS に参加して学んだことの一つは、彼らは文字通りナンバーワンのヒットシングルを出していて、時に人々は言葉の意味より語感を好むということを理解しなければならないということ。曲の意味という十字架に、いつも釘付けになる必要はないんだ。このフレーズは俺にとってとても中毒性があるように思えたし、それを使うことができてうれしいよ」
Keith はボーカリストですが、ゲストボーカルを招いてアルバムをさらに向上させることに躊躇がありません。
「MANCHESTER ORCHESTRA の Andy Hull は俺の世代におけるアート・ガーファンクルのような存在だから、本当に感謝している。サイモン&ガーファンクルが大好きだから、これは最高の賛辞として言っているんだ。Andy と俺との間には、友達以上の深いつながりがあるように感じるんだ。何に対しても同じような視点を持っているんだ、わかるだろ?それで、”Thing With Features” ができたんだ。Andy はスピリチュアルな人だし、たぶん宗教的でもあると思うんだ。この曲は亡くなった俺の妹のことを歌っているんだ。だから彼が参加することは俺にとって重要だった。なぜなら、彼なら歌詞を理解し、その内容を伝えれば、それを感じてくれると思ったからだ。そう、彼はそれを感じてくれたんだ。スタジオでそれを聴いた人たちはみんなそれを感じて、涙が出ていたよ。だから、本当に素晴らしい経験だったよ」
“We Like To Experiment With Traditional Instruments. We Use Them In an Unconventional Way, With Changed Tunings, Intentionally Playing Them In a “Wrong” Way”
“The Romance of Affliction” Is The Satirical Side As a Call Out To The Romanticization Of Things Like Mentel Health Struggles And Addiction That I Feel Aren’t Things To Be Romanticized Cause I Live With It And Its Not Something Anyone Should Look At Positively.”
DISC REVIEW “THE ROMANCE OF AFFLICTION”
「このアルバムでは、バンドを始めたばかりの頃に持っていたカオスや奇妙さ、それに生意気さや皮肉を取り戻したいと思っていたの。その予測不能な奇妙さにメロディと美しさを融合させられるかどうか、自分たちに挑戦したかったのよね」
混沌と厳しさと審美の中で生きる宇宙のカウボーイが放った最新作 “The Romance of Affliction”。EVERY TIME I DIE の Keith Buckley、UNDEROATH の Aaron Gillespie、If I Die First、そしてラッパー Shaolin G といった幅広いゲストが象徴するように、この苦悩のロマンスではデビューLP “The Correlation Between Entrance and Exit Wounds” で欠落していた初期の混沌と拡散、そして予測不可能性が再燃し、見事に彼らの美意識の中へと収束しています。ドロドロと渦巻くマスコアの衝動と、ポスト・ハードコアの甘くエモーショナルな旋律との間で、両者の軌道交わる最高到達点を目指した野心の塊。
初期のEPと数曲の新曲を集めた “生意気” に躍動するコンプ作品 “Songs for the Firing Squad” と比較して “Correlation” は暗く、悲しく、感情的に重い作品だったと言えるでしょう。それはおそらく、ボーカル Connie Sgarbossa の当時の状況を反映したものでした。重度の薬物依存性、体と心の不調、そしてそこに端を発する人間関係の悪化。大げさではなく、オーバードーズで死にかけたことさえありましたし、友人は亡くなりました。
「多くの依存症者は、社会的な汚名を被ることを恐れてそれを口にすることができず、一人で苦しみ、不幸にも人生を壊してしまうか、ひどい時は死んでしまう。私は、この汚名を少しでも払拭し、人々が一人で負担を背負う必要がないと感じられるように、この問題について話し助けを与えることができるようにしたいのよ。誰かがオーバードーズで亡くなった後にはじめて、その人が薬物の問題を抱えていたと知ることがないようにね」
Connie は今も依存症と戦い続けています。最近では、SNS で自身が重度の依存症であることを明かしました。それは、依存症が一人で抱えるには重すぎる荷物だから。同時に自らが悲劇と地獄を経験したことで、薬物依存が映画の中の、テレビの中の、クールなイメージとはかけ離れていることを改めて認識したからでした。
「メンタルヘルスや依存症といったものがロマンチックに語られることに警鐘を鳴らす意味があるの。私はそれを抱えて生きているからこそ、肯定的に捉えてはならないものだと感じているのよ」
自分のようにならないで欲しい。そんな願いとともに、”The Romance of Affliction” は Connie にとってある種セラピーのような役割も果たしました。音楽に救われるなんて人生はそれほど単純じゃないと嘯きながらも彼女がこれほど前向きになれたのは、弟の Ethan 以外不安定だったバンドの顔ぶれが、オリジナル・メンバー Taylor Allen の復帰と共に固まったことも大きく影響したはずです。そしてそこには、KNOCKED LOOSE の Isaac Aaron のプロデューサーとしての尽力、貢献も含まれています。
依存症者が依存症者に恋をするという、三文オペラのような筋書きの、それでいて興味を示さずにはいられないオープナー “Life as a Soap Opera Plot, 26 Years Running”。Connie はこの曲で、ドラッグやセックスに溺れる依存症の実態を描き、「みんなは結局こういう話が好きなんでしょ?でもそんなに良いものじゃない」 と皮肉を込めてまだまだ緩い、炎の中で燃えたいと叫び倒します。まるでパニックのような激しいギターとスクリームの混沌乱舞は、あの FALL OF TROY でさえ凌いでいるようにも思えますね。
“Misinterpreting Constellations” や “With Arms That Bind and Lips That Lock” では、今回バンドが追い求めた予測不能と予定調和の美しき融合が具現化されています。狂気の暗闇を縦糸に、メロディックな光彩を横糸に織り上げたカオティック・ハードコアのタペストリーはダイナミックを極め、3人のボーカリストがそれぞれ個性を活かしながら自由にダンスを踊ります。もちろん、ジャズ、メタルコアのブレイク・ダウン、唐突のクリーン・トーン、本物のスクリーム、そしてデチューンされたギター・ラインが混在する “Anything To Take Me Anywhere But Here” を聴けば、彼らのアイデアが無尽蔵であることも伝わるでしょう。
重要なのは、宇宙のカウボーイが、往年のポスト・ハードコア、メタルコア、マスコアのサッシーなスリル、不協和音、エモポップのコーラス、メロディックな展開に影響を受けつつ、人間らしさを失わずに洗練されている点でしょう。Connie の想いが注がれたおかげで。
今回弊誌では、Connie Sgarbossa にインタビューを行うことができました。「カウボーイ・ビバップ” のエンドカードとフレーズは私にとって常に印象的で、私はずっとあのアニメのファンでもあったから名前をとったのよ」 どうぞ!!
SEEYOUSPACECOWBOY “THE ROMANCE OF AFFLICTION” : 9.9/10
“Why Waste Opportunity Trying To Do Laurestine or Last Poem Part 2 The Sequel To Please a Small But Loud Subset Of Closed Minded Internet Message Board Music “purists” Clinging To The Past? That’s a Terrible Way To Live.”
DISC REVIEW “NONE BUT A PURE HEART CAN SING”
「アルバムをリリースするのは、自己表現という意味では一生に数回しかないチャンスだ。なぜ “Laurestine” や “Last Poem” の Part 2 みたいな “続編” を作って、インターネット掲示板で少数だけど喧しい “音楽純粋主義” 集団を喜ばせなきゃならないのか?それはひどい生き方だよ」
例えば政治であれ、例えば社会であれ、例えば音楽であれ、純粋さが失われた現代において、真っ直ぐに愛する音楽を奏で、正直に言葉を紡ぐ SO HIDEOUS がいなければ、世界はさらに “とても醜い” ものになってしまうでしょう。
「このバンドは基本的に “エクストリーム・ミュージック・コミュニティ” に向けて売り出されていて、彼らは実際に “極端な” 音楽と呼ばれる音楽を掲げているにもかかわらず、最も保守的なリスナーであることが多いんだよね。どのジャンルやレーベルの下で活動すべきかということに非常に固執し、それを武器にバンドに牙をむいたりね。そんなのクソくらえだよ」
SO HIDEOUS が長い休止期間を経て戻ってきたのは、ポストブラックやブラックゲイズといったジャンルの掟を踏襲するためでも、プライドだけが肥大化したファンという名の何かを満たすためでもなく、ただ自由に望んだ音楽を追求するため。前回のインタビューで Brandon 自らが “コンサート・ホールでシンフォニーが奏でるような完全で妨げる余地のないリスニング体験” と呼んだ、きらびやかで感情的、そしてオーケストレーションを極めた傑作 “Laurestine” さえ過去にする最新作 “None But A Pure Heart Can Sing” には、メタル世界で最も想像力に富んだバンドの野心と矜持と反骨が詰まっているのです。
「叙情的なオーケストレーションではなく、リズムに根差した曲を演奏するのがとても自由なことに思えたんだ。Mike、DJ、Kevin が活動してきたバンドやプロデュースしたバンドに人々はこだわると思うんだけど、実際のところ、彼らはマス/ポストカオティック・ハードコアとか、そういうジャーナリストによって入れられた箱よりもずっと多様なミュージシャンなんだよ」
ポスト・ハードコアの混沌をリードする THE NUMBER TWELVE LOOKS LIKE YOU のリズム・セクション Mike Kadnar と DJ Scully の参加、そして THE DILLINGER ESCASE PLAN の Kevin Antreassian のサウンドメイクは、結果として SO HIDEOUS の宇宙を果てしなく拡げる重要な鍵となりました。獰猛と静寂の邂逅。整合と混沌の融合。
「このバンドのメンバーは、LITURGY と Hunter Hendrix の作品をとても楽しんでいて、絶大な敬意を払っているんだ」
オーケストラやシンフォニックな要素を取り入れている点で SO HIDEOUS は同じニューヨーク出身の LITURGY にも似ています。さらに今回、彼らはより多くのリズムを求めて、フェラ・クティやトニー・アレンのアフロビート、ジェームス・ブラウンのホーン・セクション、オーティス・レディングやサム・クックのバラードなど色彩を多様に吸収して、雅楽までをも抱きしめる LITURGY の哲学に一層近づきました。ただし大きな違いもあります。LITURGY が “超越したブラックメタル” を追求するのに対して、SO HIDEOUS はもはやブラックメタルのようにはほとんど聞こえません。
「以前は、”Screaming VS Orchestra” というシンプルなバンドの “アイデア” にこだわっていたように思うんだよね」
アルバムは、CONVERGE, CAVE IN, ENVY あるいは THE DILLINGER ESCAPE PLANE のようなポスト・ハードコア、メタルコア、マスコアのスタイルにはるかに近く、ブラックゲイズの慣れ親しんだ荘厳とは明らかにかけ離れています。重要なのは、彼らがネオクラシカルなサウンドとこの新しいポスト・ハードコア/メタルコアのスタイル、そして中近東からアフリカに西部劇まで駆け巡るワールド・ミュージックとの間に絶妙な交差点を見つけ出した点で、ストリングスとホーンの組み合わせがヘヴィーなリフと無尽蔵のリズムを際立たせ、苦悩から熱狂を創造する “The Emerald Pearl” の緊張感と即興性はアルバムを象徴する一曲だと言えるでしょう。
今回弊誌では、Brandon Cruz にインタビューを行うことができました。「僕がギターを弾いているのは、Envy の 河合信賢と MONO の Taka Goto のおかげなんだよ。僕は彼らを恩師だと思っていて、彼らの音楽には人生で永遠に感謝し続けるだろうね」 ニ度目の登場。どうぞ!!
SO HIDEOUS “NONE BUT A PURE HEART CAN SING” : 10/10
“Northeastern Brazilian Music Made a Huge Impact On Me Ever Since I Was a Kid. Being Influenced By This Kind of Music Is One Of The Main Aspects Of Our Music, Because I Think There Aren’t That Many Rock Or Metal Bands With That Sort Of Influence.”
“I Think We Are Actually Still Seeing The Djent Scene Decline. It Has Become This Heavily Meme’d Culture That Seems To Realize Its Own Stupidity And Simplemindedness Where Guitar Riffs And Song Structure Are Concerned.”